力石徹のお葬式について考える
えぐりこむようにして、打つべし
皆様こんにちは、かなふく鈴木です
ぼくは漫画が大好きで、子どもの頃からたっくさんの漫画を読んで育ってきました。
ベストワンを選ぶのはとっても難しいのですが、真っ先に頭に浮かぶのは、不朽の名作『あしたのジョー』です
『あしたのジョー』は、主人公の矢吹丈と、ライバルの力石徹の関係性を軸に話が進んでいくボクシング漫画の金字塔です。
話の中盤で力石徹が亡くなった時には、発行元である講談社の講堂で力石徹の葬儀が営まれ、いまでも伝説的な逸話として語り継がれています
『あしたのジョー』の大ファンであるかなふく鈴木が、『あしたのジョー』について、そして力石徹の葬儀について、語りつくしたいと思います。
『あしたのジョー』の魅力
まずは簡単に『あしたのジョー』のご紹介
原作はあの『巨人の星』をも手掛けた高森朝雄(梶原一騎)さん、そして作画はちばてつやさん。
1968年から1973年にかけて『週刊少年マガジン』(講談社)にて連載されたボクシング漫画。戦後最大のヒット漫画のうちのひとつです
主人公は矢吹丈。この不良少年を、アル中の元ボクサー丹下段平が一流のボクサーに育て上げていくというお話。
ちなみに『あしたのジョー』の中ではボクシングのことを「拳闘」と呼び、これがまたカッコいい
ジョーは、鑑別所の中で終生のライバルとなる力石徹と出会います。出所後にリングの上で拳を交えることとなるふたりですが、実は力石はジョーよりも一回りも二回りも身体の大きいウェルター級に属するため、階級の違う矢吹と闘うことはできません。
それでもジョーと闘うことにこだわった力石は、苛酷な減量をしてバンタム級に転向したのです
力石は試合にこそ勝ちましたが、無理な減量がたたって、試合終了後に倒れ、そのまま亡くなってしまいます。
力石の減量シーンは本当に衝撃的で、鬼気迫る1コマ1コマがいまでも鮮やかに頭の中で甦るほどです。
そして、力石死後、身体をどんどん大きくするジョーも、バンタム級に降りてきたことで命を落とした力石のために、自らもバンタム級に残り続けることにこだわり、苛酷な減量をします。
「友情」や「ライバル」などということばで表現すると野暮ったくなってしまうほどのジョーと力石の男の世界。
かなふく鈴木がはじめて『あしたのジョー』を手に取ったのは5歳の頃でした
当時ぼくは小児喘息を患っていて、病院に行かなければならないのに母親に「行きたくない」とわがままばかり言ってました。
そんなぼくに「好きな漫画を一冊だけ買ってあげるから」と言われて買ったのが『あしたのジョー』の4巻か5巻だったのです
病弱だったぼくにとっては、強い男の世界への単純なあこがれがあったのだと思います。そして、弱いものや子どもたちにはとびっきりやさしいジョーが好きだったんです。
実際に『あしたのジョー』の連載が行われていたのは、全共闘運動がピークを迎えて終焉するまでの期間と見事に重なります。
ドヤ街からの成り上がり、男の世界、弱きものへのやさしさに多くの人が心を掴まれたのと同じように、ぼくもジョーに夢中になったのです。
力石徹の葬儀
『あしたのジョー』の人気は社会現象になり、漫画の中で力石が亡くなった際に、リアルの世界でお葬式が営まれたほどです
力石が亡くなったのは、『週刊少年マガジン』の1970年第9号(2月22日号)。この約1か月後の3月24日に、出版元である講談社講堂にて力石徹の葬儀が営まれました。
呼びかけたのはボクシングの造詣も深いアーティスト・寺山修司。構成や演出は、寺山修司が主宰する劇団「天井桟敷」の演出家・東由多加です。
会場には祭壇と遺影が飾られ、僧侶による読経、参列者の焼香、寺山修司による弔辞、尾藤イサオによる主題歌のライブなど、本格的なものだったそうです
寺山修司という人は本当に多彩な前衛芸術家です。短歌、詩、散文、エッセイ、写真、映画、演劇などを通じて、フィクションと現実の境界をなくしてしまうような作品をたくさん手掛けていて、いまもなお熱狂的なファンがたくさんいます。
虚構と現実の境目なんて、ない
フィクションと現実の境界をなくす。お葬式の本質を考える上でも、ここはとっても重要です
力石徹は虚構作品内のひとりのキャラクターに過ぎませんが、多くの人たちが漫画の中で描かれた力石の生きざまに心酔し、そして死にざまに涙しました。
力石自体はフィクションでも、震える読者の心臓や、あふれるファンの涙は、現実そのものです。
虚像に対して感情移入するというのは、いつでもどこでも見られる現象です。最近ではアニメやゲームに心酔する人はたくさんいますし、スターやアイドルも、ある意味テレビやスマホから映し出される虚像です。
アイドルの裏と表を描いた大ヒット漫画『推しの子』でも「噓は愛」と語られていますし、漫画やアニメのキャラクターが、現実世界を生きる私たちの心や人生を動かすということは何も珍しいことではありません。「嘘(=虚構)」もまた「愛(=現実)」なのです。
お葬式の現場では、仏教が説く仏さまを拝みますが、これらだって虚構の産物です。
たとえば、古代インドで編纂された『仏説阿弥陀経』の中で描かれている阿弥陀如来は、2000年経った今も私たちの心を掴んでいます。
梶原一騎先生とちばてつや先生による『あしたのジョー』の中で描かれたジョーと力石も、50年経った今も私の心を掴んでいます。
『阿弥陀経』も『あしたのジョー』も、構造的には同じなのです。
ちなみに、力石徹以外にも、『北斗の拳』のラオウ、『六神合体ゴッドマーズ』マーグ、『タッチ』の上杉和也などのアニメキャラクターも、お葬式が営まれたのだそうです。知ってました
お葬式は、目に見えない者に対して敬意を示す儀式
お葬式は、亡き人を火葬(埋葬)し、供養し、その人とのつながりに感謝と敬意を示すために営まれます
力石には肉体はないため、火葬や埋葬こそできません。
しかし、力石の精神、思想、生きざまに対する供養、感謝、敬意を示すために、お葬式を行うことは、なんらおかしなことではありません
それは、すでに肉体を持たない亡き人を、長い年月かけて供養し続けることと同じではないでしょうか。
亡き人の精神、思想、生きざま、そして亡き人とのつながりや思い出を大事にするためにこそ、葬儀や法事は営まれるのですから。
力石徹という虚構の存在の死。かなふく鈴木は、葬儀屋さんとして、一個人として、力石の死を悼み、虚構のキャラクターに感情移入してしまうこの感覚をこれからも大切にしていきたい思います
本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございました
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葬儀のかなふく 株式会社神奈川福祉葬祭
代表取締役 鈴木隆