2024.11.17
「葬儀のかなふくってどんな葬儀屋さんなんだろう?」
「代表の鈴木って、どんな人なんだろう?」
と興味を抱かれて、この記事を開いて下さった方、
本当に本当にありがとうございます。
ここでは、僕のこれまでの人生の歩みについて綴らせていただきます。
どんな人間が営んでいる葬儀屋さんかを少しでも知っていただく事が、
お客様への安心感につながるのでは、との想いからです。
ご興味がない方は、いつ退出されても構いません。でも、これも何かのご縁です。
もしよければ、最後まで読み通して頂けますと、とっても嬉しいです。
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僕は1971年東京都大田区生まれ。相模原に移ってきたのは生後6か月の時でした。
父はもともとサラリーマンで、大田区にある工業用資材の型抜き加工の会社に勤めておりましたが、大勢の家族兄弟を守る為、まもなく独立。そんな父の会社の取引先が相模原に工場を出すという事で、それについて移ってきたというのが、僕と相模原とのご縁の始まりです。
父はいわゆる「昭和の仕事人」で、言い過ぎでもなんでもなく一年365日ずっと仕事をしている人でした。どこか遊びに連れて行ってもらった記憶もないですし、僕もそれを当たり前だと思っておりました。
そんな父のうしろ姿を見て育ったので、僕の人生の軸には「仕事」というものが真ん中にドカンとあります。僕が独立する時も父に「隆、自分で仕事をするなら、親の死に目には会えないと思え」と言われた事をはっきり覚えていますし、その言葉は、今でも僕の中にある大切な価値観となっています。
よく葬儀屋を経営していると「お休みとれてますか?」「お酒飲めないですよね」「旅行に行けなくて辛いお仕事ですね」などと言われます。
でも、僕ってそういうのが全然気にならなくて、お酒を飲めない事、旅行に行けない事を全くストレスに感じません。まあ、そもそもお酒を飲まないですし、お出かけよりも家にこもって本を読みながら猫とたわむれるのが大好きな人間です(笑)。
では、母はどんな人だったかというと、実は父以上に忙しく働く人でした。僕と姉を育てながら、叔父がやっているラーメン屋さんのお手伝いをしておりました。早朝から家の事をして、朝・昼・晩とお店に出て、そのすきまに僕たちのご飯作ったり、洗濯物をたたんだりと、本当に、母を思い出すときは忙しそうにしている姿ばかりが目に浮かびます。
ただ、ラーメン屋さんのすぐ真裏がわが家だったので、寂しさを感じる事は、あまりありませんでした。お昼ごはんにはまかないのようにラーメンを食べさせてもらいました。よく羨ましがられますが、しょっちゅう食べていると飽きちゃうんですよ(笑)
父は厳しい人でしたが、母は本当にやさしい人でした。怒られた事なんて一度もないくらい。幼い頃から病弱で体の弱い貧弱な僕でしたが、「山椒は小粒でもピリリと辛い!」とずっと僕に言い続けてくれました。今で言う【アファメーション】ですね。
僕は結構自己肯定感が高い方だと思うんですが、今思えば それはきっと母からのたっぷりな愛情があったからだと思っています。
もちろん、父も厳しい人だったものの、その中にはたっぷりな愛情を込めてくれていました。神奈川福祉葬祭を立ち上げたのが2011年7月。父は惜しくもその年の1月に亡くなっているので、独立開業した姿を見せる事ができなったのですが、開業してからの12年間、生前父が背中で示してくれた姿は僕の心の中で生き続けていますし、いつも一緒に働いてくれているという感覚が胸にあります。
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当時26歳の僕は、父の会社が倒産するのを目の当たりにしました。
これが、僕の生き方、働き方に大きく影響します。
というのも、はじめの方でもちらっと触れましたが、父の会社は相模原に移転した元請け企業に依拠した、いわば「下請け」だったんです。順調に仕事が来ている時、元請け会社の調子がいい時は問題ないのですが、そこが崩れると、父の会社も大きな影響をこうむります。
また、父は典型的なニッポンのモノ作り職人。資材加工に対する技術の高さは息子の僕が言うのもアレですが、素晴らしいものがありました。しかし経営の方はというと不器用そのもの。採算・効率・生産性を無視して、製品や技術のクオリティを追及する所がありました。
加えて、情に厚く人からも慕われる性格でしたが、その為、業績が下降していっても従業員たちに対してのリストラや減給はしませんでした。
結果、最終的に倒産という形になるわけです。ひとつの会社が倒産するって、こんなにも悲惨な事なのかと、驚きと悲しみをもってその様子を真横で見ていました。
僕は、高校を卒業してからの数年間、父の会社で働いていましたが、仕事の方針の不一致から、22歳の時から会社を離れて内装屋(クロス屋)として開業します。
そのころ父によく言われたのが「隆、自社の商品(サービス)を持たなきゃダメだ」という言葉です。下請け企業が元請けの業績に大きく左右されてしまうという事の大変さを、身に沁みて感じていたのだと思います。
内装屋を続けていたものの、30歳位になった頃の僕は気づいてしまったのです。「いまの自分も、元請けに頼りっきりじゃないか」と・・・。
そこで、本当に生涯をささげる自分の仕事を見つけなければと、悩み、考え、そうして行きついたのが現在の葬儀業だったのです。
ひとつには、これから需要が増えていくという純粋にビジネスとしての可能性を感じましたし、もう一つは、ぼくが幼い頃から色々な読書をする中で、宗教がいかに人の幸せの為に大切かという事を感じていたからです。
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正直に申し上げますと僕は学生時代にいじめを受けていました。結構ひどいいじめだったんです。
ここでその内容を詳しくお伝えはしませんが、そんな僕を救ってくれたのが読書でした。
小説、自己啓発、仏教書など、家に並んでいる色々な本を手当たり次第に読んでいったのが始まりです。
学校では、先生は『面倒くさいと』言わんばかりに知らんふり。
昨日まで友達だった子が急にいじめる側になったり・・・。
心配させたくないので親にも言えませんでした。
完全に人間不信になり、「どうしてこんなにも人生は辛いのか?」そんな答えが、きっとどこかの本に載っている!という気がしていたんです。
いじめられている時って、例えるなら心が砂漠のようにカラっからに乾ききっている様な状態です。そんな時の読書って、みずみずしい言葉が干上がった僕の心にしみわたるような感じがあって本当に本の中に救いを求めていました。
貪るように本を読む事で、このリアルな世界とちょっとだけお別れして、本の中の世界に没頭できるんです。
色々な本を読んできましたが、お葬式という仕事につながったという面においては、社会人になってから読んだ『法華経』が欠かせません。
『法華経』と聞くと、日蓮宗やそこから始まる門流が大事にするお経だと思う方も少なくないと思うのですが、天台宗や真言宗、禅宗や奈良仏教の諸宗派など、国内のほぼすべての宗派で読まれているお経です。いわば『ルーツ』です。
『法華経』には、全ての人が平等に仏になれる事が説かれています。
天台宗の最澄さんや日蓮宗の日蓮さんなどは、周囲からの抵抗や弾圧を受けようとも、信仰の力からその苦難を乗り越えていかれました。いじめられっ子の僕にとって、そんな事も自身を重ね合わせて、大きな心の支えとなっていたのかもしれません。
そして、これは読書からつながる事として、40歳くらいから心理学を学んだ事も、今の僕という人間を構成するひとつとなっています。
心理学には色々なジャンルがありますが、そのひとつに「認知行動療法」というものがあります。
Aという出来事に対して、その人の解釈が加わり、Bという感情や行動が生まれる。つまり「全ては解釈ひとつで変えられる」という事です。いま目の前で起きている事は全て自分の解釈ひとつでどのようにでも受け止められると言う事です。
イヤな事も、辛い事も、ただ嘆くだけではなく、いじめる相手側の気持ちに立つ事で、「いじめ」を俯瞰的に、構造的に眺める事ができる。こうした視点を持つ事で、目の前のイヤなことに漠然と捉われる事なく、その解決方法を具体的に考え、そして心の在り方を実践し、学びに変えていく事ができます。
もちろん、心理学を学んだからと言って、僕自身すべての事柄に対して、そのように正しく対処できるわけではありませんが、心の働き、心の在り様の捉え方を学んだ事は、現在の何事にも肯定的思考な鈴木隆を作り上げた、大きな要因の一つになっていると思います。
そして、心理学を学んだからこそ、僕の目の前で死別に嘆き、戸惑い、悲しむお客様に寄り添うことができるのではないかと感じています。
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僕は自分の事を、もの凄く運がいい人間だと思っています。
実際に会社を立ち上げたあと、度重なる困難にぶちあたっても、不思議な巡りあわせを何度も経験して、なんとか乗り越えるどころか、もっと大きなものをもたらせてくれた事が多々ありました。
開業当初3か月位までは色々と苦労はしましたが、4か月目から12年間はこれといったピンチに陥った事もなく、徐々にではありますが、お客様がお客様を呼んで下さったのです。このご縁が本当にありがたかったです。
でも、運の良さにはそれなりの理由があると思っていまして、やっぱり世の中に対して自分が投げかけたものが、そのままこちらに帰って来るんですよね。
「類は友を呼ぶ」とか「引き寄せの法則」なんて言葉もありますが、否定的でなく肯定的な考え方でいたいというのは若い頃からずっと思っている事です。
仮にネガティブな事があっても、それを学びに変えていきたいと常に考えています。
いつからポジティブシンキングになれたのか。ひとつには読書や心理学が大きかったのですが、僕はそれ以上に、親からの愛情ではなかったか?と感じています。
いじめを受けていた時も、なぜか僕は一度も「死にたい」と思いませんでした。
いじめられているのは悲しくて、情けなくて、悔しかったものの、自分を責め過ぎたり傷つけるような事もせず、「なんで僕だけこんな目に・・・」と、環境や相手のせいにしていました。
どんなにまわりからひどいことをされても、自分の中の一番大切な尊厳みたいなものを守りきれたのは、今になって初めて言える事ですが両親からの愛情に他ならないと思っています。
僕は今でも、仕事人だった亡き父の事を尊敬していますし、86歳でいまも元気な母の事が大好きです。このふたりから生まれたことを本当に感謝しています。
その絶対的な安心感であり安全地帯(セーフティーベース)が、どんなに辛い状況下にあっても、僕を常に前向きに、ポジティブにさせてくれているのだと信じています。
5
ここまで、ずっと僕の半生にお付き合い頂き、誠にありがとうございます。
最後に、僕の考えるお葬式の大切さについてお話させてください。
お葬式は、亡き人の為であり、それは同時に自分自身のためでもあるんです。
自分を生んで育ててくれた両親、自分とともに同じ時間を過ごした兄弟や友人、自分の事を見守ってくれていた親戚やたくさんの人たち、こうした人たちを、心を込めて弔うことは、自分自身の尊厳をいたわる事にもつながるのです。
何故ならば、その人がいなければ、今のあなたはいないからです。
僕たちは、たくさんの人とのご縁に結ばれる中で、人格を形成し、この世界を見渡し、生きていきます(縁起論)
特に両親、祖父母、ご先祖さまは、人格形成どころか、我々の存在そのものです。だってこの内の誰かひとりでも欠けてしまうと、あなたの存在自体が消えてなくなってしまいます。
両親に対して、「僕の事を生んでくれてありがとう」「ここまで大きくしてくれてありがとう」という言葉を投げかける事は、両親に感謝を伝えるだけでなく、自分自身の中にある尊厳という名の植木鉢に水を与える事にもなるのです。
大切な人の死に対して、お葬式という儀式を執り行う事は、まさに感謝を伝える事、自分をいたわるための儀式である事を知って頂きたいと思います。ネガティブを、ポジティブに変えるためのものなんです。
僕は若い頃、いじめや父の倒産など、たくさんの辛い目に合ってきました。お葬式の現場でも、様々な辛い思いをされている人のそばに寄り添ってきました。だからこそ、今この記事を読んで下さっているあなたのお葬式の時にも、しっかりと寄り添って、丁寧なお葬式のお手伝いに努めさせて頂きます。
皆様の中には、「こんな辛い時にポジティブシンキングとか耳障りだよ」と思われる方もいるかもしれません。「若造が何言ってやがる」と失笑を買う事になるかもしれません。
しかし、今までこのブログに綴ってきたように小さい時から体が弱く、人の気持ちを察する事ができなくて、クラス中から四面楚歌状態で13才から18才という青春真っ只中な時期を暗く、淋しい、周りに味方が誰もいないといった恐怖を乗り越えてきた僕だからこそ、語れる葬儀の世界があると信じています。
この記事は、鈴木隆がどんな人間かをより深く知っていただく為に書きました。それは、葬儀屋さん選びに悩まれているあなたに、「かなふくはこんな葬儀屋さんですよ」「鈴木とはこんな人間ですよ」と知ってもらう為、いわば、少しでも安心材料という心のお薬を提供したかったからです。
かなふくは、僕ともうひとりのスタッフふたりだけの極々小さな葬儀屋です。そして、鈴木隆はここに書いたような人間です。
こんな「かなふく」に、こんな「鈴木隆」でよろしければ、何なりとご相談下さいませ。
「生んでくれてありがとう」
「ここまで大きくしてくれてありがとう」
「色々あったけど、あなたとのご縁に心から感謝します」
そんな心のステージを一段上げた、感謝あふれるお葬式のお手伝いをさせて頂きます。
「死を受け止められないのに、葬儀の事を考えるのは辛い」「葬儀をしたいと思わないけど、やらざるを得ない」など。心に深い悲しみや悩み、時には怒り、問題を抱えた方などご遺族さまの状況は様々です。
プラスな事もネガティブな事も、気にせずぶつけてください。お客様からは「自然と心が癒された」と言っていただくことが増えました。心理カウンセラーとしてご遺族さまの心が自然と癒される最良なご対応をさせて頂きます。
ご遺族さまの不安や恐れを取り除き、メンタル(精神面)も整えながら、「送る側」にも「逝く側」にとっても最良の葬儀を行えるよう全力でお手伝いさせて頂きます。
心理カウンセリング「オレンジ心療室」も開設しております。【完全予約制】様々な方の心の悩み、つらい気持ちを整理し、心の疲れを和らげるためのカウンセリングを行っております。
1971年 東京都大田区生まれ。相模原育ち。小さい時から人になにかしてあげたがりで、喜んでもらえる顔を見るのが大好き。
趣味
:
読書
座右の銘
:
『我以外皆師』
好きな映画俳優
:
ブルース・リー
特技
:
沖縄剛柔流空手初段
保有資格
:
日本メンタルヘルス協会認定心理カウンセラー
一生のうちに葬儀を執り行うと言う事は、そう何度もある事ではございません。
また、初めて葬儀を行うという方も沢山いらっしゃるかと思います。弊社では葬儀未経験者のお客様にはできるだけ分かり易く。過去に葬儀を執り行った経験のあるお客様には安心・納得・満足頂ける、後悔の無いサービスの提供を心がけております。インターネットの普及で少し検索するだけで葬儀社における情報は山の様に出てまいります。情報が多すぎて一体何を基準に選んだら良いか悩まれておられる方も多いかと存じます。人的サービスという冠婚葬祭業ゆえ、ひとつひとつ手に取って比べる事はできません。
弊社は2011年7月の創業より、常にお客様を中心に置いたサービスの充実に取り組んで参りました。以来、有難い事にお客様満足度99%を獲得しております。(弊社調べ) 当社は代表を含め、スタッフ2名で運営している極々小さな葬儀社でございます。これも隅々まで目が行き届く様、また、どこよりも低価格で充実の葬儀サービスを継続して提供できる様、私なりに考えた経営方針でございます。小さな会社だからこそできる柔軟な対応と、ご質問に対するレスポンスの良い回答でお客様のサポートに最大限尽くしてまいります。ご心配な方がおられましたら是非、一度お問い合わせください。社名にある【福祉】の名において、あなた様の家族の一員になって皆様に合った『最良のお別れ』が出来る様、真心こめてお手伝い致します。
株式会社 神奈川福祉葬祭
(葬儀のかなふく)
代表取締役 鈴木隆