日本史上最大の天才。弘法大師空海という人
いろはにほへとちりぬるを
皆様こんにちは。かなふく鈴木です
弘法大師空海という名前を聞いたことがあるでしょう。
日本仏教の一宗派である真言宗を開いたお方で、日本史にも出てくる大変な偉人です。
「お大師さま」という呼び名で親しまれており、神奈川県にお住まいの方ならすぐに「川崎大師」が頭に浮かびますよね
3月21日は弘法大師空海が入定(永遠の瞑想に入ること)され、いまも高野山の地で修行を積まれていると信じられています。
ということでこの記事では、真言宗の開祖、弘法大師空海についてご紹介いたします。
空海の生涯
まずは、空海さんの生涯を、さっと確認しておきましょう
弘法大師空海は、774年に讃岐国(いまの香川県)で生まれます。
幼少期の名前は真魚(まお)。とにかく神童だったみたいで、両親はめちゃくちゃ勉強させて、コネも使いまくって、18歳の時に京都の「大学寮」に入ります。
つまり、今で言うところの国家公務員コースまっしぐら、順風満帆なわけです
ところが空海さん、大学寮での勉強の日々をつまらないと思ったのか、ドロップアウトをして山岳修行の日々を過ごします。
ここからの約10年間は、空海に関する歴史的資料が途絶えており、空白の期間とされています。
空海さんが歴史の表舞台に立ったのは、804年の第18次遣唐使。無名の僧侶だった空海さんでしたが遣唐使として唐に渡ることを認められます。
この時、同じ船に、生涯の盟友にしてライバルとなる最澄さん(天台宗の開祖)も乗っているあたりに歴史のロマンを感じます。
唐にわたってからの空海さんが、まあ凄い!彼はすでに中国語をマスターしていたのですね。
あれよあれよと人脈を築きながら、短期間のうちに真言密教の正統後継者である恵果阿闍梨に出会い、わずか数か月の間に、真言密教の奥義を直々に伝授されるのです。
当初、約20年間の滞在を予定していた空海さんですが、ただちに真言密教を日本に広めなければとの想いから、時の朝廷の意向に反してたった2年で帰国。
はじめはこの行動に対しておとがめを受けますが、帰国後、まもなくして恵果阿闍梨が亡くなり、さらには中国国内で仏教への弾圧が始まったことを思うと、空海さんの判断が日本の、仏教の歴史を大きく動かしたと言えます。
帰国してからの空海さんは、嵯峨天皇の絶大な支援を受けながら、旧勢力であった奈良仏教陣営とも良好な関係を築き、日本全国に真言密教を広めるだけでなく、社会活動にも取り組み、62年の生涯を全うします。
日本のダヴィンチ! 空海の偉業
空海さんの偉業は、凄まじいものがあります。
イタリア・ルネサンス期に活躍したレオナルド・ダヴィンチは、音楽、数学、解剖学、建築、土木、幾何学、生理学、天文学、動植物学、地質学、地理学、物理学、光学、力学など、ありとあらゆる知的領域に精通していたことで知られますが、空海さんだって負けてはいません
- 真言宗の開祖
なんといっても、真言宗という仏教の一宗派を一代にして築いたお方。大変難解だとされる真言密教の教理を体系化した功績は、今も華々しく語られているそうです。かなふく鈴木は難しいことは分かりませんが、真言宗のお坊さんがそう言われてました。
- 庶民信仰のシンボル
「お大師さん」という愛称で親しまれている空海さん。1200年続く、空海の足跡を追う四国八十八カ所巡礼(お遍路さん)は、今でも人気で、国内外から多数の巡礼者が四国の地を歩きます。
- 書家として
空海さんは書の達人としても知られ、「三筆」のひとりとして数えられるほどです。「弘法筆を選ばず」や「弘法も筆の誤り」などの慣用句も庶民に浸透しています。
- 文人として
文章の才能も一流だと言われています。かなふく鈴木は、文章についてはよく分からないのですが、なんせ、そうらしいのです。
- 言語力・いろは歌
言語に長ける空海さん。唐に渡った時にはすでに中国語やサンスクリット語をマスターしていたのではとも言われています。そんな空海さんが作ったとされるのが「いろは歌」。いまの「あいうえお」の原型となる、まさに日本語のベースを作ったお方なのです。
- 学校の建設
教育事業にも取り組みます。日本初の庶民向けの教育機関である「綜芸種智院」を開き、これは現在も種智院大学として受け継がれています。
- 灌漑工事・治水工事
古代の人たちにとって日々の生活を営む上で、水路の整備・改良・保全は必要不可欠なものでしたが、空海さんは日本各地で灌漑工事や治水工事に取り組みます。日本一のため池で知られる香川県の満濃池(現:満濃池ダム)の灌漑工事を指揮したのも空海さんです。また、日本中に空海さんによる開湯伝説(温泉の発見)や、湧水伝説が見られるのは、それだけ空海さんが治水の知識を持ち合わせていたことを示唆しています。
- 鉱山探索
空海さんが開いたとされる山岳霊場の多くは、近くに鉱山があると言われています。真言密教では鉄製の仏具がとても大切なのですが、空海さんは鉱脈を探り出す天才だったのではとも言われています。
対立じゃなく融和。空海のコミュ力
これだけの偉業を成し遂げられたのは、たくさんの方々の支援や協力があってこそ、空海さんという人は、とことん明るい人だったのではないかと言われており、そのコミュ力がまたすさまじい
遣唐使時代、彼は中国の仏教界だけでなく、仏具を制作する職人たちからの信頼も厚く、密教法具を大量に作らせて日本に持ち帰っているそうなのです
また、日本に帰ってからも、旧勢力である奈良仏教の人たちとも良好な関係を築きます
奈良仏教と敵対してしまった天台宗の最澄さんとは異なり、敵を作らず対立せず、すべてをひとつに丸めこんでしまう明るさが、空海さんのダイナミックな生涯に現れていると思います。
真言密教は、「すべては溶け合ってひとつである」と考えます
まさにその教えを自身の生涯で体現したのが、空海さんという人だったのではないでしょうか
3月21日は、弘法大師空海の縁日。みなさんも、近くの真言宗寺院にお参りしてみませんか。
本日も最後までお読み頂き誠にありがとうございました
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